制作者と読者の間で発生する「溝」
今回は、NTR界隈で時々話題になる「NTR作品のハッピーエンド」について、NTRレビュワーとしての個人的な見解を述べたいと思います。本記事の意図としては、制作者と読者の間で発生する「溝」を少しでも減らせればと考えています。NTR作品において金銭が発生するため、商品販売ページでは、かなり攻撃的なレビュー記事が散見されることもあります。そのレビュー大半が、「作画」の技術的な部分ではなく、「期待した内容ではない」という「失望感」であり、制作者と読者の「認識のずれ」が、「読むまで」解消されなかったと考えています。言葉を選ばなければ、「騙された」という「怒り」が、NTR作品の良し悪し云々関係なく、制作物の評価に繋がっているのは残念でなりません。さっそくでありますが、読者視点での「NTR作品の期待するもの」から、その「溝」を深堀していきたいと思います。
「NTR作品に期待するもの」は、徹頭徹尾、「寝取られ・寝取り」
結論として、「NTR作品に期待するもの」は、その名の通り「寝取られ・寝取り」のストーリーです。故に、「寝取られ・寝取り」のストーリーを味わえる「NTR作品」を探し購入したいと考えています。
但し、ここで注意したいのが、「シリーズ作品」においても、読者が「NTR作品に期待するもの」は変わらないということです。これが、制作者との「溝」が生まれる「要因」となっています。
例えば、シリーズ第1話で、「寝取られ・寝取り」の「NTR作品」を制作する。第1話としては、「寝取られ・寝取り」のストーリーだが、その後の「続編」が、「寝取られ・寝取り」のストーリーとは限らない。しかし読者としては、「シリーズもの」の「超大作」を、「NTR作品」として味わう腹積もりなのである。
シリーズ第1話を販売した制作者に対して、この時点で、シリーズ全体を購入したつもりの読者。読者としては、第1話同様の第2話第3話があると期待している。その上で、前作とは異なる「新しさ」を求めるのだから、自分のこととはいえ、とても厄介なお客だと思う。
「ヒロインの愛着」が、ハッピーエンドを生むのか?
次に、制作者のお話になるが、私は、ただのNTRレビュワーであり、制作者の言葉を語る立場はない。しかしながら、作品巻末の「あとがき」を通して、「NTR作品に対する制作者の思い」について、ある程度大便することは出来る。
それは、「ヒロインへの愛着」である。「NTR作品」において、愛する男性以外の人間と「不義」を重ねるヒロインだが、基本的に、周りの「竿役」が悪い。悪役がいなければ、主人公と結ばれる「予定調和」があり、それが崩されるからこそ興奮を味わえるのだ。
ストーリー全体で言えば、ヒロインは被害者であり、不憫な女性。もちろん、それを演出しているのは制作者自身であり、何かしらの手心を加えてしまうかもしれない。あるいは、ヒロインは、制作者の「理想の女性像」なのだから、好きな女性には「幸せ」になって欲しい。こういう意見が散見されるのだが、私は、根本的な部分で、制作者と読者がすれ違っていると考えている。
「純愛作品」に潜む「NTR」演出
結論が述べると、そもそも、「純愛作品」シリーズだったという「落ち」。要するに、シリーズ第1話という「木」を見て、「寝取られ」シリーズだと錯覚したが、制作者としては、盛大な「純愛」シリーズだったというもの。
NTRが好き過ぎて、世間一般の「純愛」ものを見たことがなかったのですが、「純愛作品」にも、「NTR」演出がある。敢えて、二人の仲を割く演出をして、より絆が深まったというもの。「NTR作品」の冒頭なんかは、まんま「純愛」ですよね。その逆バージョンが起こっているということ。
【結論】作品のジャンル登録が大切
私たち読者は、制作者の考えを知ることは出来ない。作品概要に記載された情報しか判断材料がなく、その判断材料で作品を買うか買わないか判断している。
故に、「正確なジャンル登録」する制作者側と、「しっかりジャンル確認」する読者がいれば、本記事の軋轢は少しは減るだろうと考えている。ちなみに、Fanzaの「登録ジャンル」には、「寝取られない」というジャンルもあるぐらいだ。
自分にも言い聞かせる意味でも、「作品概要をちゃんと読もう」という言葉と共に、本記事を終わらせたい。ここまで読んで頂きありがとうございます。









